『アラジン』ヒット裏に魔法現代化

NEWS2019年7月12日8:40 AM

興収85億円を突破した『アラジン』(C)2019 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

 世界史に類を見ないエンタテインメント・ブランドであるディズニーは、これまでに何度も黄金期を迎えている。6月7日より日本公開され、映画動員ランキング5週連続1位。現在、興行収入85億円を突破し、100億円超えを射程に入れる実写版『アラジン』の破竹にして怒涛の勢いもまた、最新のゴールデンエイジを証明するものだろう。

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■イノベーションと温故知新の双方向からブランドの価値を編み上げていくディズニー

 ディズニーの歴史を振り返ってみると、アニメーション版『アラジン』が全米公開されたのが1992年。その前年にはアニメ版『美女と野獣』がロードショーされている。この『美女と野獣』はアニメとして初めて最優秀作品賞にノミネートされたエポックメイキングな一作だった(当時、アカデミー賞にはアニメ部門はなく、『美女と野獣』は実写映画と同等の位置づけでノミネーションされるという一大快挙を成し遂げた)。

『美女と野獣』は、それまでのアニメに対するイメージを世界的に覆した。子どもの付き添いで映画館を訪れた親たちも一緒に楽しめるというようなファミリームービーの域ではなく、大人の女性と男性がデートムービーとしてセレクトできる気品と奥深さがそこにはあった。実写映画と遜色がないどころか、実写では生まれようのないエレガンスと深遠が波打っていた。

 翌年の『アラジン』は、同じくロマンスが底辺にあるとはいえ、アニメというイメージの革新そのものだった『美女と野獣』に較べると、アニメ本来の原動力であり存在証明である活劇性に回帰した快作だった。ディズニーのすごさは、同じアプローチでブランドを補強・推進するのではなく、イノベーションと温故知新の双方向からブランドの価値を編み上げていくことにあるのだと、1990年代初頭に思い知らされた記憶がいまもまざまざとよみがえる。

■これまでとこれからの変化を見据えた上での「現代性」が渦巻く

 あれから27年。大ヒット中の実写版『アラジン』に遭遇すると、大きく新たな発見がある。ディズニーは、時代の移り変わりと潮流を見極めて、コンテンツを練り上げ、投入している。その鍛錬を怠ってこなかったからこそ、21世紀のいまも、娯楽の最前線で疾走し、映画界を牽引してもいるのだ。

 まず結論を述べよう。実写版『アラジン』は、1992年のアニメ版『アラジン』の単なるリメイクではない。これは実写化ではなく「現代化」である。これまでの変化、これからの変化を見据えた上での「現代性」がここには渦巻いており、そのことに圧倒される。この要素は、かつての『アラジン』にはなかったものだ。そして、このファクターは、2019年の「いま」だからこそ、多くのひとびとに必要とされ、また受け入れられるものになっている。なによりも、そのことに感動する。

 ディズニーはここ数年、『シンデレラ』『美女と野獣』『ジャングル・ブック』など、かつての名作アニメの実写化プロジェクトを継続している。もちろん、その都度、21世紀にふさわしいかたちへの仕立直しはおこなわれている。だが、その必然性が、ここまでクリアに到達した例はなかったのではないか。

■肝要な点はファンタジーではなく、女性と男性の「現実」

 活劇派と呼んでいい英国出身のガイ・リッチー監督の起用は当初、アクションを重視した映画の作りを想定させる。事実、一気呵成にたたみかける幕開けのシークエンスは実写ならではの躍動感に満ちあふれている。主人公アラジンとヒロイン、ジャスミンの出逢い、その後の展開におけるテンポの軽快さはなるほど、ガイ・リッチーならではと感じさせる。

 だが、本作の主眼は、活劇とロマンスの融合にあるわけではないことが次第に氷解していく。序盤のアクション・シークエンスはあくまでも「導入のサービス」。言ってみれば食前酒、シャンパーニュのようなものだ。

 誤解をおそれずに言えば、この映画は、貧しい青年アラジンが、王女ジャスミンと結ばれる「ボーイ・ミーツ・ガール」物語ではなく、変装して街に繰り出した王女ジャスミンが、やがて彼女と同じように変装し王子として求婚することになる青年アラジンを見出す「ガール・ミーツ・ボーイ」物語として設計されている。ストーリー自体は、アラジンの冒険として繰り広げられていくし、ファンタジーとしての側面はアラジンにその主軸はあるが、この映画の肝要な点はファンタジーではなく、女性と男性の「現実」にこそある。

 もちろん、人気キャラクターであるランプの魔人ジーニーをウィル・スミスが演じることで求心力が増強され、アラジンとジーニーの友情劇も一段と盛り上がってはいる。だが、それはあくまでも彩りにすぎない。

■ジャスミンこそが実写『アラジン』の真の主人公ではないか

『アラジン』と言えば、名曲「ホール・ニュー・ワールド」がよく知られている。今回もアラジンとジャスミンが魔法の絨毯で夜間飛行する場面でデュエットされる。『アラジン』の代名詞と呼ぶべきシークエンスだ。だが、それ以上に強力なインパクトを残すのが、今回の実写版のために書き下ろされた新曲「スピーチレス~心の声」。ジャスミンのソロ曲である。

 アニメ『アラジン』にはジャスミンのソロ曲はなかった。だが実写『アラジン』では、ジャスミンの王女としての決意が、人間としての誇りが、高らかに歌い上げられる。そのとき、ジャスミンは「アラジンにとってのヒロイン」ではなく、「自立したひとりの女性」としてスクリーンの中央に立っている。その傍らにアラジンはいない。

 個人的には、その瞬間、ジャスミンこそが実写『アラジン』の真の主人公なのではないかと悟った。なぜなら、恋心と同じくらい、いや、ひょっとすると恋心以上に大切な彼女の価値観を、ジャスミンはそこで堂々とメッセージにして発信していたからである。

 ジャスミンは決して勝ち気なヒロインとしては描かれていない。もっとフラットで、聡明で、精神年齢が高い。なぜ、王女が国を治め、民のためになる国政を模索してはいけないのか? この疑問に真摯に向き合うことこそが彼女のアイデンティティであり、この姿勢は、アラジンと恋におちてからも、忘れられることはない。

■「ガール・ミーツ・ボーイ」として物語を反転させた鮮やかさ

『アラジン』は確かに魔法をめぐる物語だ。アラジンはジーニーと魔法の力をかりて、奇跡を起こす。そして、そのことによって王女ジャスミンにとって大切な王国アグラバーの窮地は回避される。だが、そんな魔法の力を持ってしても、ジャスミンそのひとのアイデンティティ・クライシスは救われない。ジャスミンは言ってみれば、自力で自分自身を救出し、己の道を切り拓く。そのようなエンディングになっている。魔法すら乗り越える、ひとりの女性の「現実」のエネルギーを称賛しているからこそ、実写『アラジン』は真の意味で現代的な作品たりえている。

 映像をめぐる技術は、1992年に較べ、格段に進歩した。アニメーションでしか表現できなかったものも実写化できるようになった。それは魔法かもしれないし、映画というメディアは、出発点から進化にいたるすべてが魔法なのだと論じることも可能だ。実写『アラジン』はだから、魔法によって実現した作品ではある。だが、アラジン側からではなく、ジャスミン側から本作を捉えたとき、魔法の意味は変幻するだろう。

 ラストシーンの解釈は、観客によって違うだろう。だが少なくとも私には、この物語が、アラジンがジャスミンを見初めたのではなく、ジャスミンがアラジンを発見したことからすべてが始まっていた、と受け取れた。「選ばれる」受動的な女性ではなく、「選ぶ」主体的な女性の姿がそこにはあり、それはごく当たり前のことなのだ、という宣言が感じられる。

 前述したようにジャスミンは特別「強い女性」として描かれているわけではない。おそらくはどんな女性にも、あらかじめ備わっているであろう、「現実」を見極める原初の力が、ジャスミンを通して表出されていると思った。

 この映画における魔法とは、「ボーイ・ミーツ・ガール」と思われていた物語を「ガール・ミーツ・ボーイ」として反転させることである。その鮮やかさにこそ、2019年ならではの新しさがあり、それゆえに多くの観客に受け入れられているのではないだろうか。
(文/相田冬二)

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