ミレニアム・ファルコンを作った男

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エンタメNEWS2022年5月4日1:00 PM

『ミレニアム・ファルコンを作った男 45歳サラリーマン、「スター・ウォーズ」への道』著者、成田昌隆さん(写真提供:光文社)

 「スター・ウォーズ」などを手がけるルーカスフィルムのVFX部門であるIndustrial Light & Magic(インダストリアル・ライト&マジック、通称:ILM)で、シニアCGモデラーとして活躍している成田昌隆さん。昨年、一冊の本を出版した。

【動画】オンラインインタビュー映像

 『ミレニアム・ファルコンを作った男 45歳サラリーマン、「スター・ウォーズ」への道』(光文社)。23年間勤めた会社を辞め、夢だった映画にかかわる仕事に就つくまでの経緯が克明につづられている。本のタイトルにもある「スター・ウォーズ」を象徴する船の一つ“ミレニアム・ファルコンを作った男”とは? ILMという世界のトップが集まる会社での働きがいとは? そして、今後の目標まで。オンラインでお話を伺いました。

――“ミレニアム・ファルコンを作った男”――インパクトのあるタイトルですね。

【成田】プラモデルを作ったわけではないですよ(笑)。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015年)、『最後のジェダイ』(17年)、『スカイウォーカーの夜明け』(19年)の3作に出てきたミレニアム・ファルコンのCGモデリング(造型)を担当しました。そのほかに、スター・デストロイヤー、タイ・ファイター、AT-ATウォーカー、『マンダロリアン2』ではダーク・トルーパー、『ボバ・フェット』ではランコア、双子のハット、サンドリザードなどを造形しました。ちなみに現在は、こちらも大好きだったインディ・ジョーンズ最新作のモデル・スーパーバイザーを担当しています。

――23年間のキャリアを捨てて会社を辞め、CGアーティストに。その稀な経歴は、テレビ番組で取り上げられて、話題になりました。

【成田】私は遅咲きでして、CGアーティストとして映画業界に入ったのが46歳の時。それまで23年間、日本の会社でサラリーマンをしていました。45歳の時に会社を辞めて、半年間、学校に通ってCGを勉強し直し、映画会社に売り込んで、運良く仕事を得ることができて、今、ILMで働いているわけなんですが、その、人生半ばで一念発起して、昔から憧れていた職業に就くまでの過程を忠実に振り返った自叙伝的な内容を本にしました。この人はこんなやり方で自分の夢を叶えたんだ、という一つの参考にしてもらえたらうれしいです。これから就職を考えている若い方や、仕事に悩みを抱えている方、チャレンジしたいことがあるけど踏み出せないでいる方などに広く読んでいただき、少しでも夢の実現をお手伝いでたらいいな、と思っています。

――「スター・ウォーズ」はお好きでしたか?

【成田】『エピソード4/新たなる希望』(1977年、日本公開は78年)を観て、虜(とりこ)になりました。その作品の続編に携われて感激なんですけど、僕が会社をやめてCGアーティストとしてやっていこうと決めた時は、「スター・ウォーズ」は完結して、まさか新しい三部作が作られるなんて知る由もなかった。「スター・ウォーズ」に限らず、映画が大好きで、ずっと映画の世界に入りたいと思ってきた中で、僕が唯一できることとして見つけたのが、CGのモデリングだった。それで、転職して、『エルム街の悪夢』や『アイアンマン3』などに携わっている中、運良く、ILMで仕事をさせてもらえることになったんです。

――ハリウッドの最高峰、ILMで働くなんて、それこそ夢のようですよね。

【成田】僕が入社したのは2013年8月でしたが、どうしたら入れるかというと、採用面接を受けて、自分の作品を見せて、気に入ってもらえたら、とりあえず使ってもらえる。アメリカ的というか、思っているより敷居は低いですよ。そこで続けられるかどうかは、入ってからの頑張り次第というのもアメリカ的ですが。

――成田さんは、名古屋大学工学部を卒業後、NECを経て日興證券へ転職。1993年、アメリカのシリコンバレーの先端IT調査研究所に赴任。そして、1995年、ピクサー・アニメーション・スタジオの世界初フルCGアニメ映画『トイ・ストーリー』を観て、CGができれば自分もハリウッドで映画を制作する一員になれるのでは、と思ったそうですが、サラリーマンをしながらもずっと映画に携わりたかった。

【成田】子どもの頃に感心したり、好きだったりしたものって、大なり小なり大人になっても引きずるものなんじゃないかな、それが僕の場合は、映画だった。親が映画好きだったので、子どもの頃から映画を観るのが好きでした。ただ、僕が大学生だった頃は、今みたいにインターネットもないし、ハリウッドで働くなんて、夢のまた夢の話。普通に会社員になる選択をしたんですが、会社員生活を送る中でもなにか折りがあれば映画の仕事に携われたらいいな、と漠然と思い続けていました。

 『トイ・ストーリー』に衝撃を受けて、1997年から3年間、CGを学び、そのタイミングで転職も考えていたんですが、その時は挫折した。グリーンカードの問題があったり、親父が亡くなったり、子どもが生まれたり、身の回りの状況が変わって、一旦あきらめたんです。だから45歳の時にいきなり、CGアーティストになろうと思ったわけではなくて、10年くらい前にいい線までいった、というのがあったし、ここであきらめたら絶対後悔すると思った。後悔だけはしたくないと思ってとりあえず、チャレンジすることにして、ダメだったとしても「なんとかなる」という楽観的なマインドになれたんだと思います。

――うまくいった秘けつは何だったと思いますか?

【成田】僕の場合、すごく才能があるわけでは無いと思うのですが、たまたま自分ができることと、求められている仕事が一致した、というのが大きくて、非常にラッキーだったと思います。ただ、やってみないとわからないことも多い。僕はたまたまうまくいったけれど、それもやってみなければわからなかった。皆さんにも、やりたいことがあると思いますが、トライしてみるのは重要だ、と思う。

――自分にできることをしっかりと見極めて、トライするということですね。

【成田】見極めてトライではなく、トライして見極めるというスタンスです。昔から細かく作り込むことが好きだったんです。僕が子どもの頃は、ネットもゲームもなく、テレビを観て特撮ごっこをしたり、男の子はプラモデルですよね。自然な成り行きだったのかもしれないんですが、けっこうプラモデルにハマって、そこで培った根気良さや、説明書通りに作るんじゃなくて、よりうまく作るためにはどうしたらいいかを考える力が身についた。それに模型を本物のように仕上げるには、本物を観察する目を持っていないとできない。プラモデルで培ったそのような経験が役に立っていると思います。

――子どもの頃からプラモデルや映画が好きだったことが、今につながっている。今後の目標は?

【成田】せっかく映画の世界に入れたので、映画に関する仕事をずっと続けていきたい。アメリカは定年がありませんので、会社が求めているスキルを提供できる限り、何歳になっても仕事はできるんです。会社が求めているものに応えられなければ、いつでもクビを切られる。私にできることはモデリングしかないので、その腕を磨きつつ、頑張っていきたいです。

でも年齢とともに手の震えも出てくるでしょうし(笑)、もしモデリングができなくなったら、プロダクション側で何らかの仕事ができたらいいな、と思っています。

――映画監督になるとか?

【成田】俳優とかね(笑)。ゼロから出直すため、65歳、70歳くらいで学生に戻るかもしれません。でも、夢を持つのは自由ですから。

#ファルコン#ミレニアム#100%#プラモデル#ウォーズ

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