斎藤佑樹引退の花道にドラフトの声

#松村邦洋#斎藤佑樹#アナウンス#ナレーション#セレモニー

エンタメNEWS2021年11月19日8:40 AM

「ドラフト会議」の司会を務めるフリーアナウンサー/ナレーターの関野浩之氏 (C)oricon ME inc.

 2009年、「プロ野球ドラフト会議」(以下/ドラフト会議)の司会に抜擢。唯一無二の美しい低音でのアナウンスで、故・パンチョ伊東(伊東一雄)さんの名調子を“塗り替え”、今や現代ドラフトの声として多くの人に親しまれているフリーアナウンサーの関野浩之氏。これまで、実に1361人もの選手の名前を読み上げてきた同氏だが、今年10月、北海道日本ハムファイターズ(以下/日本ハム)・斎藤佑樹選手の引退の花道をその声で飾った。同氏にとっても特別な存在であるという斎藤選手の引退セレモニーでのナレーションにはどんな思いを込めたのか?同氏が考えるスポーツアナウンスの矜持とともに話を聞いた。

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■“門出”に立ち会うことはあっても“引退”に立ち会うことはほぼない

 今年10月17日、札幌ドームで行われた斎藤佑樹選手の引退セレモニー。その冒頭、これまでの軌跡を振り返る映像のナレーションを関野氏が務めた。引退の花道を飾ったのは、今から11年前、2010年のドラフト会議でその名を4度読み上げ、斎藤選手をプロへと“導いた”その声だった…。

 「斎藤佑樹、引退」のニュースを観たとき、関野氏は、11年前のドラフト会議当時を感慨深く思い出したと振り返る。“ショーアップ化”され、公募による一般観覧方式を採用した“見せるもの”へ転換された、自身2回目のドラフト会議の場に慣れなかったこと。大緊張の中、一般からの注目度も高い斎藤選手の名を4回も読み上げ、日本ハムが交渉権を獲得した旨をアナウンスしたこと。さらに、後日行われた入団セレモニーで司会を務めたことは、今も記憶の中に鮮烈に残っているという。

「特に入団セレモニー当日の記憶が印象的です。千歳空港から札幌に向かう電車に乗ったら、車内の電光掲示板ニュースに『斎藤佑樹 北の大地に降り立つ』の文字が流れてましたし、北海道のテレビの地上波はほぼ全局が斎藤くんの入団発表を生中継。ビックリするとともに、北海道がどんなに斎藤くんのことを心待ちにしていたかが伝わってきてものすごく感動しました。その後、セレモニーで会った斎藤くんは、笑顔がキラキラしていて、これからのプロ生活についてすごく希望を持って話をしてくれて。その斎藤くんの話に期待いっぱいで拍手し、熱い声援を送っていたファンの姿は今も忘れられません」

 以降11年間、斎藤選手のプロ人生を開幕から閉幕まで見守り続けてきた関野氏。これまで数多くの“門出”にその声を添えてきたが、現役の最後を声で飾ることはまずなかった。それだけに、北海道日本ハムファイターズスタッフの「斎藤の始まりが関野さんの声だったから、最後も関野さんの声で」というナレーションのオファーに、関野氏は「すごくうれしかった」と顔をほころばせる。

■誰かの夢を叶える瞬間を彩れる「ドラフトアナウンス」はすごいこと

 引退セレモニー当日は、札幌ドームを訪れてナレーションを収録。さらに引退登板も球場で観ることができた。斎藤選手が最後のマウンドで投じた7球は、関野氏の心にしっかりと焼き付いているという。

「最後は四球だったんですけど、ストレートがマックス129キロだったんです。それを観たときにちょっと切なくなっちゃって。斎藤くん、ケガして苦しんで、でも鎌ケ谷(日本ハムの2軍本拠地)で頑張ったんだな、本当に立派だなって。自分がどれだけ注目されて、期待を背負っているかをわかっていながら、ケガと闘って、それでも絶対泣き言を言わず、弱音も吐かず、本当に立派だと。何より、甲子園で田中将大投手(現・楽天)と投げ合った試合を見て、野球をやるって思ったチビッ子がどれだけいたか、子どもに野球をやらせたいと思った親がどれだけいたか。そう思うと、野球界における彼の貢献度は計り知れないし、大きな財産を残したと思う。残念ながら、試合が長引いてしまって、帰りの飛行機の時間の関係で、斎藤くんと会うことはかないませんでしたけど、心から『お疲れ様。君はやっぱりスーパースターだよ』と、声をかけたいと思っています」

 そんな斎藤選手を筆頭に、関野氏がこれまでドラフト会議で名前を読み上げ、その声でプロ入りへと“導いて”きた選手は、実に1361人。取材時にその人数を告げると「そんなにいるんですか?」と驚きながら、1つ1つのアナウンスに込める思いを明かした。

「ドラフト会議は、すべての選手が同じように夢を叶える瞬間なので、差があってはいけません。ですから僕は、一巡目の選手から育成枠の選手まで、同じテンションで、真心とリスペクトを込めて読み上げることを大切にしています。あとは、夢を叶える瞬間の僕の声が、選手はもちろん、親御さんや知り合いが心から『やった!』と喜べるようなアナウンスであること。何年か後に思い出したときに決して邪魔にならないようなアナウンスであることを心がけています。誰かの夢を叶える瞬間を彩れるってすごいことだと思うので、そうありたいといつも肝に銘じています」

■低く、美しい声は、多くの挫折から生まれた人間味のある表現

 ドラフト会議というと、1991年まで27年間アナウンスを務めた故・パンチョ伊東さんを思い出す人が多いだろう。緊迫感あふれる独特の雰囲気のなか、甲高い声での名調子は、松村邦洋らのモノマネによってよりいっそう広まり、そのイメージが強く印象に残っている人も多い。

 そんな印象深い先人のあとを受け継いだ関野氏だが、自身の美しい低音を生かしたアナウンスで、立ち位置を確保。今年は会議が始まると、ネットに「やっぱりいい声」という絶賛コメントがあがるなど、いまや“現代ドラフトの声”として多くの人に知られている。だが、当の本人は自身の声の良さについて、「ピンとこない」と不思議顔。

「世の中に美しい声の方はたくさんいらっしゃいますから、自分の声をいい声だと思ったことも感じたこともないんです。どちらかというと、人間味のある表現、部分でやってきたつもりです」

 その土台には、自身の経歴が大きく関係している。

「こんなこと言うもの変なんですが、今ここにいるのは、昔からスポーツが好きで勉強して…というわけではないんです。いろんな夢を諦めて、必死にもがいて、しがみついて、気が付いたらここにいたという感じなんです」

 俳優、お笑い芸人など、さまざまな経験を経てフリーアナウンサーに転身したのが28歳のころ。オーディションも落ちまくる日々のなかで、ようやく決まったTBSの3分間の番宣番組の出演。そこで知り合ったディレクターにナレーションの仕事を勧められ、ナレーターとしてキャリアを本格化していった。その後、1992年にフジテレビ系『プロ野球ニュース』のレギュラーナレーションの座をつかむと、その声の良さと実力を買われ、97年にはFIFAワールドカップ・アジア予選の日韓戦のスタジアムアナウンサーに抜擢。そこでのいわゆるホームチームの“盛り上がる選手紹介”が話題となり、その後ドラフト会議をはじめ、スポーツ関連の仕事が増えていった。

 広く浸透した“スポーツの声”としての実績が評価され、今年は、東京・国立競技場で開催された東京オリンピック・パラリンピックの開会式・閉会式のアナウンスも担当。「30年間スポーツをメインにやってきて、最高の舞台で素晴らしい経験を積ませてもらえたことは、自分にとって財産であり宝物」と顔をほころばせるが、出場したアスリートにとっても、関野氏の声は、宝物となっているのではないだろうか。なぜなら、同氏の声が、単なるアナウンスやナレーションの域を超え、選手の栄誉な瞬間や大切な大舞台に寄り添い、その後もその日の感動や興奮を瞬時に蘇らせてくれるものだからだ。

「スポーツのナレーション/アナウンスの醍醐味は、ドキュメントであることです。例えば、引退の危機からの復活だったり、乗り越えてきたものが半端ないアスリートのドキュメントを伝えられるという面もあるし、試合においても、結果がどうなるかわからないという興奮や、臨場感を、観ている方にお届けする面白さがあります」

 今後は「メジャーリーグの名物アナウンサーのように、高齢になってもこの仕事を続けていたい」と目を輝かす関野氏。その一方で、こんな意外な愚痴も飛び出した。

「ドラフト会議や、オリンピックのアナウンスも経験した今、なんだか勝手に祭り上げられちゃったみたいで、すごく寂しいんです。僕は自分がお役に立てるならなんでもやってみたいタイプなので、仕事のオファーお待ちしています(笑)」

取材・文/河上いつ子

#松村邦洋#ナレーション#アナウンス#斎藤佑樹#関野浩之

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