小山雄大 デビュー日に誓う孝行

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エンタメNEWS2024年4月10日8:00 AM

シングル「道南恋しや」でメジャーデビューした小山雄大 (C)ORICON NewS inc.

 歌手の小山雄大(21)が10日、シングル「道南恋しや」でキングレコードからメジャーデビューした。新人歌手として大きな一歩を踏み出す小山に、思い描く未来像や今後への意気込みを明かしてもらった。

【動画】手品の腕前がガチすぎる小山雄大

 小山は2003年3月5日生まれの21歳、北海道出身。2歳の頃からテレビで流れる氷川きよしの曲を聴いて歌に目覚め、4歳から本格的に民謡を習い始めた。『道南口説節全国大会』の幼年の部(09年)、少年一部(11年)、少年二部(15年)でそれぞれ優勝し、16年には『NHKのど自慢』のチャンピオン大会でグランドチャンピオンに輝くなど、幼少期から頭角を現した。

 プロを目指して15歳で上京。作曲家・弦哲也氏のもとで学び、歌手の松前ひろ子が社長を務める「ミイガンプロダクション」への所属も決まり、この日念願のメジャーデビューを迎えた。民謡由来のハイトーンを魅力とする“マジックボイス”を武器に、大海原へ漕ぎ出した新星は今なにを思い、どこを目指すのか?

■歌うことがとにかく好きだった幼少期 向上心と緊張への目覚め

――地元・北海道の販売店へのあいさつ回りはいかがでしたか?

【小山】昔から通っていたお店ばかりだったので、自分のポスターやブースを見てすごくうれしかったですし、「自分がいる…」と不思議な気持ちにもなり(笑)、「もっと大きな錦を飾って戻れるようにこれからがんばりたい」と改めて思えた時間でした。

――お店を訪れていた当時は、憧れの氷川きよしさんのポスターが貼られている風景も見ていたわけですよね。感慨もひとしおだったのでは?

【小山】はい。氷川きよしさんが大好きで2歳から「きよしのズンドコ節」を歌っていましたし、氷川さんの影響で物心ついた頃から「演歌歌手になりたい」と思っていましたから…。

――4歳から本格的に民謡を始められたそうですね。

【小山】北海道の奥尻のお祭りで三味線の演奏を見たのがきっかけです。初めは三味線がやりたいと思い、親に相談したところ「民謡教室だったら三味線も教えてくれるんじゃないか」と。それで教室に行ったんですが、まだ4歳で体も小さかったので「まずは歌から始めてみないか」となり、民謡を習い始めました。三味線は小学2年生からですね。

――民謡を習い始めたことで、学びや気づきはありましたか?

【小山】まだ4歳だったこともあり、意識的に“学んだ”という感覚はあまりなくて。今思えば、先生に言われた通りの歌い方をしている中で自然と学んでいたんだと思います。僕はとにかく歌うことが好きで、歌っていない時間がないくらいだったんですよ。歩いているときや買い物をしている最中などもずっと歌っていて、よく親から怒られました…(笑)。

――6歳で『道南口説節全国大会』の優勝を飾るなど、外部からの評価も受けるようになりました。こういった状況の変化については、どういう風に受け止められていたのでしょう?

【小山】それも当時はまだ分かっていなかったと思います。だけど、小学2~3年生くらいから分かるようになり、「大会で優勝したい」という気持ちも芽生えましたし、同時に緊張もするようになりました。

■キャッチコピー“マジックボイス”の由来 学生時代から続くトランプ愛

――デビューに先立って行われた関係者向けのお披露目会では、津軽三味線奏者の木乃下真市さんと共演し、特技のマジックも披露されていました。“マジックボイス”というキャッチコピーの由来にもなったこのマジックは、いつ頃からハマっているんですか?

【小山】小学5年生のときにクラスで流行ったんですが、1~2ヶ月で飽きてしまって。でも、高校1年生の年末に当時使っていたトランプを見つけて、懐かしいなと触ってみたらすごく楽しかったんです。そこからはもう…毎日のようにマジックのDVDを見ながら練習に励んでいました。

――それこそ歌に目覚めた頃のように?

【小山】僕はハマると一気にのめり込んでしまうタイプなんです。トランプも一日中触り続けていましたし、三味線も毎週のレッスンが楽しみで仕方なくて、いつも「次はいつ?」って親に聞いていました(笑)。その一方で、好き嫌いが激しいタイプでもあって…。一点集中と言いますか、いろいろなものに冒険するというより、ハマったらそればっかりになっちゃうんですよ。

――最近ハマっているものは?

【小山】今はマジックつながりでトランプ集めにハマっています。デザインや紙質が違うトランプを何百種類もコレクションしているんです。専門店に通ったり、販売が終了しているものをネットで探したり、販売イベントなどにも参加して…(笑)。

――今後コンサートで全国各地を飛び回る際はトランプ探しも楽しみの一つになりますね。

【小山】限定のトランプを作っているマジックバーなどもあるので、時間があればぜひ巡ってみたいです。

■学びを求めて15歳で上京 プロへの決意を固めた瞬間

――15歳でプロを目指して上京し、弦哲也さんの門を叩いたそうですね。

【小山】親と一緒に上京して、高校を卒業してから一人暮らしになりました。それまでは北海道から2ヶ月に1回ぐらい先生のところに通っていたんですけど、もっと腰を据えて歌を勉強したくて上京し、そして「上京したからには必ず歌手になるんだ」という決意を固めました。

――「じゃがくん」というニックネームも弦さん直々の命名だとか。

【小山】北海道出身だから「じゃがいもくん」と呼ばれ始め、そこからさらに呼びやすいように「じゃがくん」となったようです(笑)。どうやら弦先生がご家族と僕のことを話す際に「じゃがくん」と呼んでいたらしく、レコード会社のスタッフさんにも「じゃがくんをよろしくね」と紹介してくださっていたようなんです。

――デビュー曲「道南恋しや」はその弦さんが作曲を手がけ、さわだすずこさんが作詩に参加されています。

【小山】思い入れのある地名がたくさん詩に入っていて…すごくうれしく、本当にありがたかったです。おじいちゃんとおばあちゃんの家がある登別、民謡や三味線と出会うきっかけになった奥尻など、自分のルーツを描いていただいた等身大の歌だと思っています。僕自身も歌っていてその風景が浮かぶので楽しいですね。

――歌い回しで特に気を付けていることはありますか?

【小山】出だしの<風が>というロングトーンは北海道と東京の距離を表していて、上京したときの決意なども込めて大切に歌っています。歌い出しということで一番大事なフレーズでもあります。あと、僕は特に3番の歌詞が好きで、グッと来るものがありますね。この曲のミュージックビデオにはおじいちゃんたちも出てくれていて、ビデオを見ると思わず僕も涙ぐんでしまいます。

――撮影時にはどんな言葉をかけていただきましたか?

【小山】「本当によかったな、がんばれよ」と言ってくれました。普段からすごく応援してくれていているので、今回のミュージックビデオで少しは孝行ができたのかなと。

■恩師と先輩の教えを胸に…親孝行を誓うメジャーデビュー

――事務所の社長である松前ひろ子さんや、“教育係”を買って出た先輩・三山ひろしさんは、東京の親御さんとも言える存在ですか?

【小山】はい。松前先生からは歌手として、人としての生き方を教えていただきましたし、 三山先輩はステージマナーやお客様への感謝の思いなど、たくさんのことを教えてくださいました。三山先輩には昨年10月から全公演について行かせていただいて、本当に間近で勉強させていただきました。

――具体的にはどんなことを?

【小山】もう…すべてです。右も左もわからない状態だったので、ステージ上での立ち居振る舞いはもちろん、ステージ外での動き方、化粧の仕方や髪型など、イチから教えていただきました。先輩は常々「デビューするまでは全部を教えてあげる。デビューしたら一人のアーティストなんだから、自分でしっかりとやっていきなさい」と言ってくださっていたんです。

――三山さんに帯同する中で、驚いたことはありましたか?

【小山】三山さんは「お客さんはもちろん、スタッフの方たちのことも絶対に待たせてはダメだ」と言って、例えば10分間の休憩があっても素早く着替えて、誰よりも早くステージで待っていらっしゃるんです。そしてコンサート後には、片付けをしてくださるスタッフの方の迷惑にならないように素早く着替えて帰る。そういう姿を見ていて、こういった気配りが肝心なんだとすごく勉強になりました。

――歌唱面でのアドバイスも受けましたか?

【小山】僕は小さい頃から民謡を習っていたのもあって高音に意識を向けがちだったんですが、お二人から「低音も大事にしなさい。低音がしっかり出ていないと響いてこないから」とアドバイスをいただき、「自分のキーよりも1~2音下げて練習したり、1オクターブ下で歌ってみるといい」と教わりました。あと、ステージパフォーマンスの面で、声を出すことと同じくらいに“止める”ことの重要性も教えていただきました。

――カップリング曲「椿咲く島」も魅力的な1曲になっています。

【小山】この曲は表題曲よりも先にできていたので、「これが自分のオリジナルの曲なんだ」とすごく感動しましたし、うれしくてずっとこの曲ばかり歌っていました。あとから3番の詩を付けていただいたんですが、その中の<母さんごめんよ 心配かけて 笑顔で帰れる その日を信じ>という詞にグッと来ました。当時はもう一人暮らしを始めていた時期だったので、本当に自分自身のことを描いていただけたんだな…と。

――お披露目会でこの曲を披露した際には涙を流されていましたね。

【小山】練習をしているときにも感情がこみ上げてきて、言葉に詰まってしまうことがありました。それくらいすごく感情を込められる曲なので、今後も大切に歌っていきたいです。

――最後に、今後の活動に向けた意気込みをお願いします。

【小山】まずは、小さい頃から一番応援してくれていた母親、そして時に厳しく、時に優しくご指導いただいております松前ひろ子さん、三山ひろし先輩に早く孝行ができるようになりたいです。そして、全国各地のみなさんに歌声を届けに行くことが僕の夢ですので、付けていただいた“全国民の孫”というキャッチコピーの通り、孫のようにかわいがっていただけるように小山雄大として精いっぱいがんばります。

#100%#松前ひろ子#三山ひろし#氷川きよし

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音楽

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