45歳で看護師を目指した女性

エンタメNEWS2025年12月18日7:50 AM

45歳で看護学生になったみそらさん(@misora_50lifeより)

 45歳で看護学生になり、現在看護師4年目として働いているみそらさん。40代で新たな職業に挑戦した彼女が「夢だったはずなのに、毎日が地獄みたいだった」と看護学生時代の心境や経験を赤裸々に語った動画は167万回再生され、「何歳になっても挑戦し続ける姿は素晴らしい」「学ぶことに関して年齢は関係ない」「私も51歳で看護師になりました」と多くのコメントが寄せられた。看護師を目指したきっかけや、20歳以上歳の離れた同級生と過ごした学生時代、40代、50代での新たなチャレンジについて、投稿者・みそらさんに話を聞いた。

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■母の入院、熊本の震災が看護師を目指すきっかけに「誰かのために役に立つ仕事したい」

――「暗黒の学生時代」という動画は167万回再生され、「めちゃくちゃかっこいい」「私も51歳で看護師になりました」などと多くのコメントが寄せられました。このような反響を受けていかがでしょうか?

「167万再生という数字に、私が驚いています。たくさんの方が観てくださり、コメントしてくださって、本当にうれしく思います。ですが、正直こんなに反響があるとは思っていなかったので、どこか他人事のような感覚にもなっています。コメントでは、70歳で新しいことにチャレンジされている方がいたり、日本だけではなく、海外でも多くの方が頑張っていらっしゃることを知り、私が励まされました。素敵なコメントがとても多く、読んでいるだけで他の方も励まされるのではないかなと思います」

――45歳で看護学生になられたと拝見しましたが、看護学生になろうと思ったきっかけについて、お聞かせください。

「きっかけは2回ありまして、1回目は40歳の時です。母が入院した際に関わってくださった看護師さんが本当に素敵だったんです。まだ1年目くらいの看護師さんとその先輩、主任さんの3名が担当で、1年目の方がとても熱心に母の世話をしてくださり、先輩たちは母のことはもちろん、私たち家族にも寄り添ってくださって、こんな風に誰かのために役に立つ仕事をしたいと思いました」

――2回目のきっかけは何だったのでしょうか?

「2回目は45歳の時です。この時は病院勤務のドクターカーの運転手をしていたのですが、私の誕生日の日に熊本の震災があり、朝出勤すると、病院から『DMATを出動させるから熊本まで運転していってもらえないか』と言われました。熊本では、一緒に行った医師も看護師もそれぞれの役割をこなしていましたが、運転手の私は何もできず、ただみんなが無事に戻ってくるのを駐車場で待っていることしかできませんでした。そのときに『私も何かしたい!』と看護師を目指すことにしました」

――前職はどんなお仕事をされていたのでしょうか? 

「年も年なので、今まで色々な仕事をしてきました。看護学校を受験したときは、ドクターカーの運転手をしていましたが、その前はバスの運転手やバスガイド、トリマーや動物病院でも働いていましたし、釣り番組のレポーターやナレーションの仕事もしていました。普通に事務職をしていたこともあります」

■20歳以上離れた同級生と過ごした看護学生時代「毎日がほんとに必死でした」

――45歳から新たな職業に挑戦されたということで大変なご苦労があったと想像します。挑戦しようと思われた当時、どのようなご心境だったのでしょうか?

「『看護師になりたい!』と思ったものの、この年で勉強についていけるのか、そもそも受験資格があるのかも心配で何校か見学に行きました。職場の救命の看護師さんや、母の入院の時にお世話になった看護師さんに受験することについて相談し、背中を押していただきました。合格するか分からないし、とりあえず受験してみて合格したらその道に進んでもいいんだという運試しのような気持ちもありました。不合格になったら諦めると決めて、受験に望みました」

――看護学生時代は、「暗黒時代」とコメントされていました。寝不足や焦り、自己嫌悪を繰り返し、何度も心が折れかけたとのことですが、改めて、看護学生時代の当時の状況やご心境についてお聞かせください。 どんなことが一番大変でしたか?

「入学前は、楽しい学校生活を想像していたんです(笑)。ですが、入学したら初めての医学用語に全く理解が追い付かず、教科書は次の行に進むと、もう前の内容忘れているような状態でテストは次々行われるし、欠点を取ったら終わるという気持ちになり、毎日が本当に必死でした。技術試験もあるため、その練習も入ってくるともう時間が足りませんでした。実習中は家に帰ってから記録を書いて、翌日の行動計画なども作成するのですが、記録を書くだけで0時が過ぎ、先生や指導者さんからチェックが入ったところを修正して、翌日の行動計画を書き終えたら空が明るくなりかけていたなんてことも何度もありました。一番大変だったのは実習だと思いますが、なんせ本当に暗黒時代。記憶が結構微妙です」

――看護学生時代の壁をどのように乗り越えられたのでしょうか?

「壁を乗り越えられたのは、勿体ない精神だと思います(笑)。入学金や教科書代、その他色々とお金がかかっているので、『無駄にはしたくないから絶対辞めない!』というのは、強く思っていました。心の拠り所となったのは、学校以外の友達です。今は兵庫県に住んでいるのですが、元々愛知県出身で地元に帰って友達に会うのが一番の楽しみでした。あとは、卒業したらやりたいことを色々考えていたので、それを目標に乗り越えました」

―― 20歳以上離れた学生たちが同級生になる感覚はどのようなものでしたか? 

「彼女たちにとってはお母さんより年上になるので、私がしっかりしなきゃと思う部分がありましたが、むしろ私が彼女たちに支えられていました。実習グループで一緒になったときは、彼女たちの方がしっかりした意見を言えますし、私とは違う視点でモノを見ていたりするので、『なるほど!』と思うことも何度もありました。学校が休みの日に待ち合わせして買い物やランチをしたり、一緒に勉強したりと楽しいこともありました」

■40代、50代は人生の折り返し地点「やらない後悔よりやって後悔する方がいい」

――現在看護師として働かれて4年目ということで、改めてこれまでを振り返ってみていかがでしょうか? 

「学生時代は毎日本当に必死でしたが、今振り返ってみると『よく頑張れたなぁ』と思います(笑)。もう一度やれと言われたら絶対断わります! また、学生時代は看護師になれたらゴールだと思っていましたが、看護師になってからも勉強は続くんですよね…。マインドや性格の変化と言えるかはわからないですが、あまり迷わなくなったかもしれません。以前より、決断力がついた感じがします」

―― 40代、50代でこれから新たな挑戦をするか迷われている方がいたら、どのような言葉をかけていきたいですか? 応援のメッセージをお願いいたします。

「絶対挑戦した方がいいと思います。40代、50代は人生の折り返し地点。やらない後悔よりも、やって後悔する方が絶対いいと思います。やらなかった後悔はいつまでも引きずりますが、やってからの後悔は経験として人に話せますし、経験はその人の力になります。迷うのはやってみたいからだと思うので、やらない理由じゃなくて、やれる方法を探そう! 今日が人生でいちばん若いです! 是非チャレンジしてください」

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